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Channel: 福島ズボラーヌ
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野田六丁目(1)

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「野田緑道」の近く。







猫さんが食後の休憩中でした。
ご近所のアイドルなんでしょうか。



「大大阪観光地図 」昭和11年(1936年)

昭和初期の大阪中央卸売市場界隈。
この場所に市場が設置されたのは昭和6年。
最新の設備を誇る堂々たる近代建築だったでしょうから
観光地図に乗せたのでしょう。

野田駅から卸売市場に伸びている線路がかつての貨物線。
大阪環状線の貨物支線で大阪市場線と呼ばれていたようです。
昭和60年に廃止、今は野田緑道になっています。

実は私、この線路のこと全然記憶にないんですよ…
当時は福島区民ではありませんでしたが
環状線は何回も乗っているし、見た事あるはずなんですが。
1980年代なら覚えてても良さそうなもんなのに。


※「福島区の風景・街並み

野田四丁目(1)

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大阪中央卸売市場近く。



はじめて見た時は、あまりの格好よさにびっくりしました。





落ち着いた雰囲気の外観。
玄関横の植栽といい、本当に素敵な家だなぁ…

※「福島区の風景・街並み

野田四丁目(2)

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この道路沿いには両側に古い建物が続いています。



商店建築が多いです。
たぶん1階の土間のところが昔はお店だったんだろうなぁ。



こちらは正面に塀を作っています。
右側にあるのは小さな蔵かな?
商店建築は通りに面した部分に店舗があるのですが、この建物にはありません。
こういうのを昔は「仕舞屋(しもたや)造」と言っていました。

「語源由来辞典:しもた屋
「大阪備忘録:北区西天満三丁目(6)

私の周囲のお年寄は「シモタヤ」を裕福とか
ゆとりがあるというニュアンスで用いていました。
昔の大阪で使われていた「シモタヤ」は
「ある程度の資産を形成したあと、引退して悠々自適の生活をしている」という感じ。
商売を仕舞う・店を閉めるから発展して、商売をしていない家、
つまり居住専用の建物のことも「シモタヤ」と言っていました。

「シモタヤ」は東京でも使われていた言葉のようですが
豊かさとは逆の意味で使うことが多いような。
貧しい家、下町の裏長屋などの質素な住宅のことを「シモタヤ」と言うようです。
商売を仕舞う→商売が立ち行かなくなった家という解釈なのでしょうか。

表屋造から大塀造・高塀造に改装するのは大変なことなので
こうして改装しているお宅は、本来の「シモタヤ」なのだろうと思う。

※「福島区の風景・街並み

野田四丁目(3)

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今は現代的なビルやマンションに建て替えられていますが
前はここはこうしてずーっと箱軒長屋の商家が並んでいたんだろうなぁ。





外壁やドアなどがそれぞれ異なりますが、元々は同じような建物だったのでしょう。
いずれにも格好いいうだつが付いています。

※「福島区の風景・街並み

野田二丁目:雑喉場橋の石碑

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中央卸売市場近くの野田郵便局敷地内、
植栽の中にうずもれるように建っている石碑。



私が行った時は植物が邪魔で、下の方が見えず、
「靱公園にあった雑喉場がこの辺に引っ越した時に記念して石碑作ったんかな」
くらいに思っていました。

「wikipedia:ざこば

ざこばは、小魚(雑魚)をはじめとする大衆魚を扱う魚市場を指し、
「雑魚場」「雑喉場」などと表記される。
狭義では1931年(昭和6年)まで大阪府大阪市に存在した雑喉場魚市場を指す。

雑喉場魚市場の近く、かつて存在していた百間堀川にかかっていたのが雑喉場橋。
大阪市のHPによると、雑喉場橋の顕彰碑は阿波座付近にあると書かれています。
福島区にある石碑のことについては触れられていません。

百間堀川は昭和39年に埋め立てられ、
雑喉場橋の親柱は西詰の場所に顕彰碑として残されました。
この顕彰碑の写真を見ると、野田郵便局の石碑部分とよく似ています。
野田のものには上部のガス灯が付いていませんが、
台座部分だけ、かつての雑喉場の名残として
新しい市場の近くに設置したのではないでしょうか。

「大阪市HP:橋梁顕彰碑 雑喉場橋 (ざこばばし)



「天保新改攝州大阪全圖」天保8年(1837年)

この頃、まだ雑喉場橋はありません。
地図には書かれていませんが、今の中央卸売市場の場所は
江戸時代、遊里(新堀新地)としてにぎわっていたそうです。
安治川は大阪湾と運河の街大坂をつなぐ重要な水路で
多くの船が行きかったり係留したりしていました。



「改正新版大坂明細全図」明治15年(1882年)

江戸時代にあった下之橋を撤去し、明治時代に雑喉場橋を架橋したらしい。
当時はまだ珍しかった鉄橋で、出来た頃は「新橋」とも呼ばれていました。
この時代の地図は野田あたりは詳細な書き込みはありません。
新堀新地は不運にも明治10年火事に会い、
また洪水被害にも何度もあったせいで次第にさびれ、明治28年頃に消滅。



「實地踏測大阪市街全圖」大正元年(1912年)

新堀新地消滅と前後して当地にできたのが住友伸銅所。
島之内にあった住友家の銅吹屋が前身。
江戸時代すでに世界でも有数の銅精錬所だったそうです。



「最新大大阪市街地図」昭和12年(1937年)

昭和6年、住友伸銅所跡に大阪市中央卸売市場本場が完成。

※「福島区の風景・街並み

野田二丁目(16)

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中央卸売市場付近。



和牛肉専門卸「音野肉店中央」
住所:大阪府大阪市福島区野田2-4-5

右隣は以前、「本田忠」という会社でした。
右側の二階、これがこの建物のオリジナルデザインなのかな。
一階は両方とも改築されていて、元の姿が想像できません。



パッと見、洋館風ですが、たぶん看板建築。
こっちの建物も、真ん中と右側の2軒分は「本田忠」でしたが
現在は「ベジファーム」という看板が掲げられています。

「?ベジファーム
住所:大阪市福島区野田2-4-9

大阪中央卸売市場本場が野田に開かれたのは昭和6年のこと。
それまで卸売市場はジャンルごとに大阪市内各地に分かれていました。
大正12年に「中央卸売市場法」が成立、
今までバラバラに置かれていた各市場を統合することになったのです。



「大大阪観光地図」昭和11年(1936年)

大阪の市場 | 写真の中の明治・大正 - 国立国会図書館所蔵写真帳から
「wikipedia:天満青物市場
北区天満にあった天満青物市場は近世大坂の3大市場のひとつ。
起源は石山本願寺(大坂本願寺)創建の頃(1653年)。
青果・乾物・漬物などが取り扱われていました。
中央卸売市場開場の後、天満配給所(分場)が置かれましたが
1945年に戦災で全焼し、廃止されました。

※「福島区の風景・街並み

野田二丁目(17)

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銅板貼の長屋。

野田福島には銅の建材をあしらった古い建物が多く存在します。
その理由を
「野田に住友伸銅所があったから」
と説明しているホームページがありますが、実際にはどうなんでしょう。

「キタの大火」(明治42年)での体験を教訓に、
建物の不燃化・難燃化に積極的に取り組んでいたのからではないかと思います。
特に昭和期の長屋は銅を外壁や窓枠に使ったものやタイル貼りが多い。
関東大震災の被害のことは大阪にも伝わっていたので
いろいろと対策を施したのだと思います。
銅板貼りやタイル貼りの建物は見た目にも格好よく
モダンで華やかなものが好きな大阪人の心をとらえたのではないかと思います。



住友伸銅所は野田周辺が市街地化するに伴い
公害問題が大きくなり、昭和3年に桜島(此花区)に移転しました。

玉川三丁目(1)

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鮮やかなグリーンの看板建築。
「金平商店」
住所:大阪市福島区玉川3-3-4

そのお隣は別の会社の駐車場ですが
シャッターの奥の方に和風建築が残っています。



近くにはモダンな祠に鎮座するお地蔵さん。
野田の「ななとこまいり」のうちの一つでしょうか。
お地蔵さんのお住まいは木造和風建築と相場が決まっていますが
こんな可愛らしいモザイクタイルの祠に住んでいるのは
数少ないと思います。

※「福島区の風景・街並み

鷺洲一丁目(3)

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野田阪神駅前近く。



この並びの端に中華料理店「圄武(GOBU)」がありました。



トンネルの奥にさらに建物が続いています。
表の建物からトンネル状の通路を通って奥の住宅に進むという形式は
明治42年(1909年)以降は禁止されています。
ということは、この建物はそれ以前のもの?



こちらにもトンネルがありました。

梅田のすぐ近くで、100年を超える建物に普通に人が居住しているなんて
すごいことですよね…。
しかも全然ボロボロじゃなく、今もとてもきれいでしっかりしています。
昭和には大きな地震が何度かありましたし
(昭和21年の南海地震とか昭和19年の東南海地震とか)
戦争も経験して、阪神大震災も乗り越えて
それでもなお、こうして現役で住宅として立派に成り立っている。

現代のマンション建築や建売住宅が果たして、
50年後、100年後に健全な姿で残っているだろうか?
「時代を経てもなお美しくカッコいい建物」として称賛されるだろうか?

長屋は決して時代遅れな建物ではなく、立派な歴史遺産であり、
この景観は素晴らしい財産なのだと痛感する今日この頃です。

※「福島区の風景・街並み

鷺洲三丁目(1)

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大正〜昭和初期に大阪で流行した箱軒長屋。
二階の軒が階段のような箱状態なっており、防火と装飾を兼ねて銅板で覆われています。
壁面の白いタイルもオシャレです。これも防火対策、一石二鳥。



箱軒長屋は大阪ではよく見かける形式ですが、他の地域には無いらしい。
少なくとも東京では見たことありません。
ちなみに、大阪の長屋は外装も内装も凝っていて、門や庭が付いたものや洋館風など
豪華なタイプが数多く存在しますが、これも大阪特有の文化であるように思います。

一般的に「長屋」というと、落語や時代劇に出てくる「裏長屋」のような
質素な住環境をイメージされることが多いのですが
大阪に限っていうと、それは当てはまりません。

現代の集合住宅に風呂なしアパートや億ションがあるように
大阪の長屋にはいろいろなバリエーションがあるのです。
もっとも、このことを他の地域の人に話してもまず分かってもらえません。



こちらの長屋は渋くて落ち着いた雰囲気。
明治末〜大正時代の建物かな?


※「福島区の風景・街並み

吉野二丁目(4)

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野田新橋筋商店街のアーケードから少し入った場所。





私、ここの門柱のタイルが好きです。渋い色味でいいなぁ。



この空き地、前は何が建っていたのでしょう。
よく歩いた道なのに全然思い出せません。

グーグルの地図で確認しました。



三階建ての灰色の建物が建っていたようです。
なかなか味のある建物だったんですね。



こちらの工事中の所は以前は駐車場でした。
地図で確認したところ、「新橋モータープール」。

※「福島区の風景・街並み

吉野二丁目(5)

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福島区立図書館に行く時に、よくウロウロ散歩していた所。



軒裏が漆喰で塗り籠められていないようなので
明治〜大正期の長屋かな?



この辺り、今でこそ「懐かしい風景」と言われていますが
福島区が市街地として発展し始めた明治時代のこと。
この長屋が造られた頃は、まさに新興住宅地という風景だったのでしょう。
当時の人にとっては、とても都会的な眺めだったと思います。



この辺りは以前から老朽化していましたが、さらに進行している…
整然とした石畳が今なお美しい。
建物をきれいに補修すれば、海老江の石畳保存会みたいに
格好いい街並みになるのに…


※「福島区の風景・街並み

吉野一丁目(4)

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福島郵便局の近く、このあたりも長屋が多いです。
近隣は以前も写真を撮りに行ってます→吉野一丁目(1))・吉野一丁目(2)吉野一丁目(3)



明治時代以降、長屋は二階建てが主流になりました。
長屋の多い福島区でも平屋建ては珍しい。



「亀甲屋ミシン」、亀甲はかつての町名「亀甲町」からでしょうか?



『イロハ引早わかり大大阪市街新地圖』昭和14年(1939年)

緑色でマークしたところが市電停留所「亀甲町」。
しかし、福島区内は国鉄以外に市電が複数路線通っていて、実に便利だったのだなぁ。

「wikipedia:大阪市電西野田福島線

※「福島区の風景・街並み

吉野一丁目(5)

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看板建築かな、ちょっとモダンな感じ。
グレーの塗装を施していますが、本当はタイル貼りなんでしょうね。









緑色の建物は有名なアイスもなかの店「栄林堂」。
長くこの地で愛されていたお店でしたが、残念ながら閉店。

しかし、いつの間にこんな色の外壁になったんでしょうかね。
かなり目立ちます。



グーグルの地図で確認、2009年秋はこんな感じ。
もなか屋さんの店舗は煉瓦色の塗装で、
もう一軒は黄土色のスクラッチタイルでした。

※「福島区の風景・街並み

吉野一丁目(6)

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この煙突は銭湯「宝栄湯」。



ここは小さな町工場でした。
出入り口が板でふさがれていますが、廃業されたのでしょうか。
ドアの張り紙は閉店の挨拶とか移転先等が書かれているのではなく
犬のフン害や放し飼いについての警告ポスターでした。







「亀甲東町会」と書かれた消火器。



『大阪市パノラマ地圖』大正12年(1923年)

大正時代の亀甲町周辺。
建物がぎっしりと建てこんだ市街地です。
亀甲町右側の煙を出しているのは大日本紡績、今の下福島公園付近。


※「福島区の風景・街並み

野田三丁目(8)

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環状線車窓から見える箱軒の建物。



写真を見て気が付きましたが、ドアに貼り紙が貼られている…。
何て書いてあったんやろ。

「COFFEE HOUSE ROCKET(ロケット)」
住所:大阪市福島区野田3-15-11



近くには石畳の小道が残っていました。



「Yahoo!地図」現在(2013年7月)の野田駅周辺。



「最新大大阪市街地圖」昭和16年(1941年)

JR野田駅の場所は、現在と戦前では少しずれています。
現在の駅よりも少し西九条側にありました。
高架駅になったのが昭和39年(1964年)ですから、
そのタイミングで駅舎の位置が変わったのかな?

この喫茶ロケットのあたりが小さい商店街になっています。
古い商店建築らしき長屋がたくさんありますので、
昔はこの辺りが駅前商店街だったのでしょう。

※「福島区の風景・街並み

野田五丁目(3)

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野田小学校近く。



シンプルな形状のうだつが付いた建物。
落ち着いた色合いなので、ポストの赤が際立っています。



明治以降、旧来の市街地(いわゆる大坂三郷など)周辺地域も
住宅地として開発されるようになりました。
それまで近郊農村だった福島区もたくさんの住宅や商店が立ち並ぶ
市街地へと変化しました。

1898年(明治31年)に開通した西成鉄道の野田駅南側にあたる地域、
旧町名で言うと野田玉川町、大野町周辺が開発の時期が早かった場所だそうです、
大野町は廃止された町名ですが、大野町公園(野田五丁目)に名前が残っています。
(西成鉄道→1906年に国有化=西成線→現在の大阪環状線の一部)



福島区の道は市内中心部(天満や船場、島之内など)とは違い、
整然とした碁盤の目にはなっていません。
これは農村時代の田んぼの畔道がもとになっているからだそうです。



「大阪市パノラマ地図」大正12年(1923年)


※「福島区の風景・街並み

espace

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福島のとあるマンション一階にあるレストラン。

この辺り、昔は長屋が建ち並んでいた所。
ある時、がさーっとまとめて取り壊されて、新しいマンションが出来ました。
こうして福島区の風景も変わって行くのだなぁ。

さて、このお店、業態は何なのでしょう。
店構えや内装はカフェ風ですが、ランチのメイン料理は生パスタ。
食べログの記事を拝見すると、名物はスプーンピザなる料理らしい。
となれば、一応はイタリア料理店ということになるのでしょうか。
でもイタリアンと断言するほどの専門性ももうひとつ感じないし…。

お店の前にはママチャリが複数、
近隣のヤングミセス(死語)の憩いの場となっているのかな?
チビッコが走り回るランチタイムは苦手だな、と思いつつドアを開けると
意外にもサラリーマン風男性の姿が多い。
カウンター席にはぐるりと男性客が並び、
お箸で冷やし中華のようなものを食べておられる。
ハテ、ここは生パスタのお店ではなかったか??



こちらはランチについていたサラダ。
サラダとパンはおかわり自由だそうです。



ランチのメイン料理、カツオとほうれん草を乗せた生パスタ。
冷やし中華に見えたのはこの一皿でした。
生パスタは少し太目で、かなりコシが強い。
食べていて疲れる…。
トッピングのカツオのせいなのか、麺が力強いからか
フォークではなく、お箸でズルズルと食べたくなります。
個人的には、カツオはパスタではなく素麺で食べたかったなぁ。

「espace(エスパス)」
住所:大阪市福島区福島3-12-19 ツインコート福島1F
電話:050-5797-7881
休日:月曜日
参考:ぐるなび スプーンピザと自家製生パスタ espace

すきやきダイニング&バル Hiro 福島店

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福島にあるすき焼き専門店。
ランチタイムに訪問しました。

以前は、牛丼やらハンバーグやらいろいろなメニューがあったのですが
現在は辛口カレーのみ。
店頭の看板にも「辛口」と明記されています。



ルーの色は家庭で食べるカレーに比べると黒っぽい。
一見すると濃いめのデミグラスソースに見える。
味のベースもデミグラスのようなまったりとしたコクがあります。
ただし、本当に辛い!
インドカレーやタイカレーとはまた違う辛さです。
確かに辛いのですが、同時に甘味や旨味、さわやかな酸味も感じられるので、
辛い物が苦手な人でも
トッピング次第(卵とかチーズとか)では完食できると思います。
(辛いのが苦手なら、わざわざ食べなくてもよいのですが…)

「すきやきダイニング&バル Hiro 福島店」
住所:大阪市福島区福島1-6-1
電話:050-5796-3360
休日:無し
参考:ぐるなび すきやきダイニング&バル Hiro 福島店

福島一丁目(4)

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すきやきダイニングHiro」近隣の風景。
白い壁に小さな鉄の窓、これも蔵でしょうか?


※「福島区の風景・街並み

先日の大雨、福島区はどうだったのでしょう?

東京に住んでおりますと、大阪のニュースはあまり流れて来ません。
不祥事とか凶悪事件はせっせと報道してくれますが。
唯一の情報源が「ミヤネ屋」なのですが、昼間なのでなかなか見れないし
宮根さんが少々苦手だし…

ツイッターで「福島区が浸水した」というのを見かけましたが
実際はどうだったのか?
区役所のツイッター(@fuppy_kuppy )で詳報が流れるかと思っていたのですが
市の危機管理室のお知らせのコピーが流れるのみ。

大雨・洪水警報に伴う大阪市の被害状況等について(8月26日14時00分現在)

上記報道資料によりますと、福島区の被害は下記の通り。

 ・住家被害 床上浸水  なし
 ・住家被害 床下浸水  2棟
 ・その他被害(道路冠水等) 1件

人的被害が無かったのが何よりです。
道路の冠水はどこだったんだろう?
 
  
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